ドルフィンポート 終了 その後 どうなる

さらばドルフィンポート 15年の歴史に幕 その後はどうなる?

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昨日3月31日に2005年からオープンしたドルフィンポートが営業を終えました。


ドルフィンポートが開業した2005年 この時期は鹿児島の商業における転換期であり、絶対的鹿児島の商業における雄は天文館の山形屋でしたが、前年2004年にアミュプラザ鹿児島が開業し、天文館の人気路面店は一斉に引き抜かれました。もうその後からの天文館路面店相場の落ち込みはすごいもので・・・
そしてこのドルフィンポート敷地をイオンが狙ってきたので、県と山形屋は画策し、コンペに手を上げたイオンを予選で蹴落とし、決勝コンペは山形屋とニシムタの地元企業による出来レース。結果 山形屋がコンペに勝利ということになり、鹿児島県産の木材を使った建物で地元食材をアピールできる飲食モールを建設したというのは聞こえがいいのですが、実際は山形屋に影響を与える物販店舗進出の阻止という結果になりました。
その時私は某大手不動産仲介会社の鹿児島営業所に勤務していましたが、出張で東京から来た不動産鑑定のプロから「鹿児島ってアホだね ドルフィンポート敷地にイオンモール建てとけば天文館はイオンの相乗効果で潤うのに 駅ビルとタイマンで勝てると思ってるの?」と言われ それまで山形屋の圧倒的強さを知っていた自分としては、疑心暗鬼でしたが その結果 県の仕打ちにブチ切れたのか(?)イオンは市内から南郊外東開町へイオンモール鹿児島を2007年に開業し、中心部の買い物はアミュプラザ、郊外はイオンという買い物図式が出来上がってしまいました。それでも一部の富裕層は山形屋で買い物という客層を持っていましたが今では鹿児島の本当の富裕層は福岡に買い物に行くようです。まあ たしかに1時間半で行ける時代になりましたからね。
長くなりましたが このドルフィンポート敷地の今後の使い方 とんでもないアイデアを出してくる県知事が出てくることを期待して 今年の鹿児島県知事選挙に注目しましょう!

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