恩師が亡くなりまして。20代の頃のメタボ社長の話

恩師が亡くなりまして。20代の頃のメタボ社長の話

シェアする

先日 新聞で20代の頃勤務していた会社の恩師が亡くなったことを知り ご自宅へご焼香に伺いました。
本来なら 鹿児島県の政治・経済界にかなり顔の利く方だったので 沢山の人が集まり盛大に送り出したかったでしょうが
コロナの影響でそれも出来ず 身内だけで葬儀をすましたとのこと。
インターホンを鳴らして 私の名前を伝えると 奥様も私の名前を憶えて頂いていたらしく 家に上がらしてもらい 焼香して恩師の思い出話をさせて頂きました。
どんな人?と聞かれると 映画インディジョーンズのショーンコネリーみたいな方で
チャーミングで話が面白くて 女性に優しくて いつも楽しい方でした。
仕事はお客様第一主義で非常に厳しく 営業のイロハを叩き込んで貰いました。
私とは非常に波長が合い その会社を辞めてもお付き合いは続き 不動産会社を開業しても
よくお電話をいただき 本当に恩師でした。
近くにいるからこそ いつでも会えるからと後回しにして 事が起きた時には もう会うことができない。
そんなことが起きない為にも 親・恩師・友人には常日頃から声かけしとかなきゃいかんですね。

20代のメタボ社長の話
1 22歳 入社して3か月 仕事を学ぶべき先輩が、非常に正確に問題がありもう限界。

その部署の長であった恩師に
もう我慢ならんから あいつぶん殴って辞めますわ!」と啖呵きったところ
恩師「まあ 待て」といって 私の指導者を変更。恩をもらったメタボ社長は

メキメキと仕事を覚えて
1年で仕事を一人で回せるように成長させて頂きました。

今思えば 業務内容に問題のあるその先輩のお目付け役と
将来の人的入れ替えの為 自分が入社した気がします。

2 28歳 結婚して子供も出来 後輩も出来て一人でガンガン仕事してる時

上司の許せない事を発見して メタボ社長 机をひっくり返して大暴れ。

こんな会社 辞めてやる」とまたも啖呵きると
恩師「まあ 待て
明日 城山ホテルの○○というお店で3人で話し合うセッティングしたからこい」と言われ
その上司を論破するべく勇んで店に入ると恩師だけしか来ず
ちったビンタを冷やしたか まあ食わんか!!」と
最初から二人で飯を食うつもりだったらしく

完全に頭を冷やしたメタボ社長は会社に残ることに

3 会社が南九州のメーカー販社から九州販社に統合。どんどん変わる会社のシステム
親を見なきゃいけないメタボ社長は「これはまずい」と感じる
そんな時 上司が転勤を命じられ 憔悴しながら子供も大学でお金がかかるし今は辞められない 何より
今のメーカーを辞めると ただの人になってしまう」という状況を垣間見て
これは自分の20年後の将来かもしれない 今30歳 やり直すなら今だ 将来自力で飯を食って行けるような業界に転じたほうがいい)と感じ 恩師に相談
恩師「良かど 辞めんか 後の会社のことは心配するな 自分の思った様に生きんか(その頃恩師78歳のはず)」と
これまで散々やんちゃしても 会社に残るよう説得した恩師もこの時はあっさり承諾
今思えば 会社が統合し これまでと全く違って来てるので本当に私の事を考えて後押ししてくれたのかと。
自分が辞める時の鹿児島県内でのシェア率は驚異の65%! 今ではかなりシェアがかなり落ちたようです。

もうこのブログを読んでるほとんどの人は私より年下の人が多くなってきてるはず。簡単にはこの思い 伝わらないと思います。でも 何度も言いますが

近くにいるからこそ いつでも会えるからと後回しにして 事が起きた時には もう会うことができない。
そんなことが起きない為にも 親・恩師・友人には常日頃から声かけしとかなきゃいかんですよ

コメントの入力は終了しました。